深町伊予の憂鬱



 深町伊予は、典型的な文学少女だ。
 三つ編みと眼鏡は、僕が知る限り、常時装備している。休み時間になると手元に簡素なブックカバーを取り付けた文庫本を持ち、自分の席で熟読している。
 窓際に座っていると、まるで陽光が彼女にだけ注いでいるかのようで、とても美しく映る。それほど、彼女の動作には輝きを放っていたのだ。
 だが、それは彼女の性格上、不憫なものにしかならない。
 深町伊予は、典型的ないじめられっこだからだ。
 相手に話しかけられれば、上手く言葉に出来ることなく喘ぐのみ。遊びに誘われても、事情を捏造して拒否。仲良くなりたくても仲良く出来ない不器用な性格。
 それに加えて、仕切りたがり、規則厳守、成績優秀となれば、同性ならば少なからず嫌悪な感情を抱く。
 俗に言われる『生意気』な性格なのだ。
 ゆえに、深町伊予はいじめられる。
 放課後はもちろん、悪いときには昼食時にも呼び出され、彼女の空腹を満たすことなく、唯一の休息時間を終えることもある。
 イジメは泣くからいけない、という。
 泣くと相手が調子に乗るのだそうだ。
 そうだというならば、深町伊予にとって、これほど不幸なことはないだろう。
 彼女は元来、泣き虫なのだから。
 そのことは、唯一の幼馴染である僕が一番よくわかっている。

 深町伊予を助けることは容易だろう。
 誰でもいい。相手の胸倉をつかみ、「もうやめろ」とでも言ってやればいいのだ。
 だが、さすがにそこまでの勇気を持つ僕ではない。
 人間誰でも苦痛は嫌だし、危険にはとても敏感だ。いじめなんて領域に立ち入ることなど出来るわけがない。
 それは、クラスメイトもわかっているのか、見ても見ぬ振り。放課後に起こっている惨事も、クラスだけでなく、学年全域に広がっているにも関わらず、誰もそのことについて語ろうとはしない。
 怖いのだ、皆。
 だから、何も言わない。先生にも言わない。むしろ忘れる。そこは異世界か異次元の話と考えて日々を過ごしていく。
 ほら、これでいつもの日常。なにも恐れることはない、安穏。平和。
 だから、クラスメイトは深町伊予を見ない。見ないようにしている。そこにいないものと考える。どんなに怪我をしていようとも。どんなに苦しそうでも。空気。そう、空気。あそこの席は毎日空席。

 そんな深町伊予は、時々家出をする。
 正確に言うならば、家を出てからなかなか帰ってこない、失踪じみた話なのだが。
 基本的に月に一度。悪いときは二度も家に帰ってこない。
 いずれも、朝になると帰ってくるのだが、どこも怪我もしておらず、彼女も何も語ろうとしないので何をしていたのかは知る由もない。
 そして、今日もまた。
『あの……うちの伊予がそちらへお邪魔しておりませんでしょうか』
 夕食の支度中の母に代わり、電話をとったところ、深町伊予の母親からだった。
 その声には、心配もしつつも、既に諦めの感情が入り混じっているようだ。
 この母親はとにかく、娘煩悩な母親である。勉強とかは出来なくてもいい、元気に過ごしてくれればいいという母親の鑑である。うちの母親に爪の垢でいいから飲ませてやってほしいものだ。
 さて、残念ながら、深町伊予がこちらにやってきた形跡などない。記憶もない。
「すみません。下校時には見たのですが。伊予ちゃんはまた?」
『……はい。また、なんです』
「わかりました。こちらも探してみますので、何かありましたらまた連絡してください」
 そう言うと、相手側が何度も申し訳なさそうに礼を言って、電話を切った。
 即座に、母親から誰何の声があがったので、正直に話しておいた。
「あら。深町さんも大変ね。伊予ちゃん、何か苦痛に感じることでもあったのかしら。―――何か知らないの?」
 そんな心当たりならいくらでもあるが、ここで語る必要はないだろう。語るのも面倒くさい。
 それに、探してみる、とは言ってみたものの、最初から僕は探す気などもともとない。
 薄情と思うなら、そう言えばいい。でも、これは僕なりの彼女に対する配慮だ。
 そもそもおかしいと思わないといけない。なぜ、深町伊予があそこまで学校という空間にやってくるのかと。
 行けば必ずいじめにあうというのに。行けば誰しも彼女を無視するというのに。そこに居場所などないはずなのに。
 それでも彼女は学校へ来る。
 まあ、行かなければ行けない、というのが正解なのだが。
 それでも、泣き虫な彼女が、それほど強い精神力を持っているだろうか。
 否。それこそ、幼馴染の僕が痛いほど理解している。親に怒られたことを一週間もひきずっていた娘が、強い精神力を持ち合わせているわけがない。

 ――――では、どうするのか。

「それにしても不安ねぇ。アレが来るんでしょ?」
 母親がテレビの電源を入れる。
 そこに映るは、県が運営する美術館。閉じられた門の周りには多くの報道陣と警察。まるで、殺人事件でも起きたかのような状況だが、そうではない。
 一人の女子アナウンサーが、カメラの前に立ち、状況を説明している。どうやら実況中継らしい。
 今の時間帯、どのチャンネルを回しても、この場面になっているだろう。
 と、突然画面の中が騒ぎ始めた。
 同時に、アナウンサーも声を荒げた。

『いました! 怪盗ルンルン☆ハートです!』

 ――――鬱憤を吐き出せばいいのだ。

      ☆      ☆      ☆

 そこにいたのは見るからに変な少女だった。
 白い仮面が目を覆い、頭にはシルクハット。服装は見るからにスクール水着に裁縫でピンクのフリルをとってつけたような乱雑なもの。
 ハートが天辺にある幾何学的な形状をしたステッキを手に持って、彼女は黒いマントを翻しながら、満月を背に叫ぶ。

『出でるわ月。出でるわ影。そして舞うは星々の輝きっ! 怪盗ルンルン☆ハート。約束の宝石『イービルレッド』をいただきにきたわよ!』

 騒ぎ立てるメディアと警官の声をよそに、僕は今朝の新聞を開く。
 そこには一面、今テレビの中にいる怪盗の姿がでかでかとプリントされている。
 見るからに変で、見るからに幼稚で、見るからに―――――深町伊予だ。
 しかし、誰もそのことに気づかない。知っているのは唯一の幼馴染である僕だけだ。
 彼女曰く「今まで溜まったストレスを物を盗むことで発散している」のだそうだ。経緯が滅茶苦茶だし、やっていることも滅茶苦茶だ。
 だが、僕は止めるつもりもない。彼女がどうしようが、放っておくのがいいと思ったのは学校でもプライベートでも同じ。
 誰の助けも借りず、ただ自分の欲望にしたがって、果敢に取り組んでいく。
 そこだけは本当に褒めてやりたいと思うし、尊敬する。
 さて、そろそろお腹がすいてきた。母親は未だにテレビに釘付けだが、夕食の準備にとりかかってくれなくてはこちらの生命にかかわる。
 嗚呼、それにしても『怪盗ルンルン☆ハート』はないだろう。なんだそのネーミングセンスは。

『わたしの邪魔をするヤツは、ハートを撃ち抜いちゃうわよっ!』

 まあ―――小学生だから仕方ないか。




 おわれ。