江口ミツコの奇妙な恋愛/外伝
 サンソト ―人外心外論外―
 回転式世界閑話2

(1)

 例えば、である。
 世の中には非常識というか、みんなの予想の外にいるような人は結構身近にいるんじゃないだろうか。
 僕がこんなことをいうのには理由がある。
 僕の姉がその、予想の外というか、普通の人間の知識の規格外な人だからだ。
 なんたって目覚めての第一声が「ここはどこだ」だ。
 ちなみに第二声が「私は神だったのだがどうしてここにいる」とかいった。まさに精神病院直行直前である。
 なんというか、ずっと生まれてから眠り続けていた姉が始めて目を覚ましたのときにそういうものだから家族みんながパニックになるわけだ。
 目覚めたのは二年前の四月、僕が中学二年の頃だ。
「カオル、これはどうやって身に着けるのだ? 胸が擦れて痛くてまともに生活できないぞ?」
 生真面目な顔をして思春期に入ったばかりの僕に対してブラジャーのつけ方を教わろうとする姉。僕は弟です。妹ではありません。そんな姉が初めてつけるブラがCというのはちょっとどきどきした。おかげでトップがどうとかアンダーがどうとかそういうものを知ってしまう。
「むう、なにやら股間から血が出てきたぞ」
 生理がはじめてきたときなんかの悲惨さは筆舌に尽くしがたい。
 男の僕が生理用品に詳しくなった切欠だった。何だか凄く理不尽だ。
「迷惑だったか。すまん、頼れれるのはお前だけなんだ」
 その言葉とともに普段無表情な姉は人間らしく本当に申し訳なさそうな顔でいう。
 まあ、僕は僕でそんな双子の姉を見捨てられるはずもなく、自分の持つ最大限の知識を駆使していつもあっちこっちに走り続けているのだけれど。
 姉がどうしてこのような性格で僕に依存しきっていて社会適応率が極端に低いのか。その理由は割愛する。特殊すぎていえない。というか信じてもらえないからだ。
「カオル、私が気になって仕方がない人がいる。その、なんというかその人は私の中で凄く大きいのだ」
 そんな姉が社会適応率をあげてまっとうな世界を歩みだした高校一年の11月、僕に向かって初めての恋を宣言した。

(2)

 姉は欠落したものが凄く多くてナニから言えばいいのか僕もイマイチつかめていない。
 日々日々、社会ルールだとか社交性だとか一般知識もどきを講義していてもそれが空回りしている。
 具体例を挙げればきりがないけれど姉のこの奇妙な恋愛を僕は応援しようと思っている。
 問題はまともな恋愛になるとは思えないということだ。
 むう、どうするべきだろう。
 部屋着(Tシャツとスパッツ)で僕は過ごしている。
 ちなみに姉は僕をいつも模倣していて姉の部屋着も僕と一緒だ。
 なんだか、姉弟でこの歳になってペアルックというのも頂けない。
「むう」
 僕の口癖だ。気付いたら僕の真似なのか、それとも伝染したのか良く分からないけど姉も使っている。
「むう、カオルは何を悩んでいるんだ」
 ミツコねえさんのことですよーといおうとしたけど僕の悩みの殆どは姉さん絡みなのでいまやいう気力すらない。今回はちょっと違うのだが。
「姉さんこそ僕の部屋で何をしているのさ」
 ちなみに僕らは一卵性双生児の双子だ。一卵性の双子で異性ということは染色体異常とか遺伝子の悪戯とかまあ、そんな感じでとっても珍しいようだ。二人とも肉体的に今は健康体だから問題はないんだろうけど。
「えーっと、姉さんが好きな人とどうすれば結ばれるとかそんな感じ」
 いまさら思いついてそんなことをいう。
 姉は首をかしげ、
「ようは私が相手に欲情しているわけだから相手を欲情させればいいのだろう」
 うん、間違ってない。間違っていないんだけど、どんな行動をするかまったく分からない。
「相手を欲情させる―――っていうか惚れさせるのも手だけどさ、いきなりされたら驚くだろうし段取りとか決めたりしたほうがいいんじゃない」
「分かった。調べてみる」
 そういいながら姉はネットを駆使して何かを探している。多分大丈夫だろう。
 僕はというと、この姉に似た顔の所為でついこのあいだ、痴漢にあった。
「はあ、どうすれば僕は男らしくなれるのやら―――分からないなぁ」
 今の悩みはこれだったりする。僕は電車で痴漢されるくらいだから。
 まあ、不良くさいギター持った人に僕は助けられたんだけどね。 
 っていうか、その事実が僕にとっては情けないことなんだよ。
 なんで僕が痴漢にあって男に助けられなきゃいけないんだ。
 助けてくれたのは長岡ジョージという姉さんと同じクラスの人、らしい。
 なんだか酷くがっかりするキモチもある。今まで姉に頼られてきた僕なのに姉が僕より頼ろうとする人が現れたわけだから純粋に喜べない。
「むう、やはりお前の悩みが気になるぞ、カオル」
 するり、と僕を後から姉が抱いた。
 なんだか凄くどきどきする。これだけ密着されたら心臓の音が向こうに聞こえそうで怖い。
「な、なんだい、姉さん」
 声が震えていないか心配だ。
「いやな、私は私の言いたいことややりたいことばかりしていてお前のことを蔑ろにしている気がして仕方がなくてな、すまないと思っている」
 ―――図星である。
 僕はあの長岡ジョージという人に嫉妬しているのかもしれない。
 恩人なのに嫉妬するなんて僕はなんて捻くれているんだろう。
 気付けば心臓の音は小さくなっている。心が覚めた気がする。
「大丈夫だよ、姉さん。僕は大丈夫」
 大丈夫だ、多分。
 すっと、姉さんの手が離れて僕の部屋のベッドの上に座る。僕はそれを直視できない。
「なあ、カオル。お前だけが私の話を信じてくれた。例え信じているだけのふりでも私はそれが凄くうれしかった」
 僕は、姉さんの顔を見ることが出来ない。姉さんのいうとおり、信じたふりをしていただけだから。
「私だって未だに現実感が希薄なんだ。この世界も、この私自身も」
 生まれて一度も目の覚ましたことのない姉が発した言葉も内容もどれもとんでもないことばかりで、それをまともに聞いたのは僕だけだった。
 姉はいつも正直に言葉を出して、嘘は言わない。それを知っているから僕は黙って聞き続ける。
「だけど、お前がそれを教えてくれた。そしてジョージは私の知らないものをたくさん持っていると思う」
 僕は自分の心が分からない。むかむかするキモチと、諦めと、悔しさと、微かな嬉しさと、姉のわずらわしさから少しだけ解放される喜びが入り混じっている。
「私はお前に感謝している。だからこれはお前のものだ」
 姉がベッドから立ち上がり、僕に近づいてくる。
 顔を背ける。
 けど、姉さんが僕の顔を無理やり掴んで唇を重ねた。
「感謝の気持ちだ。ありがとう、カオル」
 ぼうっとしてしまう。
 いまさら気付いた。僕はきっと姉に恋をしていた。
 だけどそれは姉の初恋で終わってしまって、明確な言葉にしないけど、姉もそれを察していたのかもしれない。
 僕は心の端ですこしだけ、ぴりっとした間隔が走った気がした。
 生まれて初めて身近な異性で意識をした人が僕の姉だった。
 なんだか僕も自分の気持ちが良く分からなかったみたいだ。
 いまさら僕はどこかで後悔していた。もう少しだけ、もう少しだけ姉と向かい合って喋ればよかったといまさら思う。
「おやすみ。私のことをさらけ出せるのはお前だけだ。私が神だという話はおまえにしか話せないからな」
 落ち着いた顔で僕をじっと見つめながらそういって部屋を出て行った。

(3)

 僕自身いままで姉に対しての感情はとても曖昧なものだった。
 その曖昧なものが言葉を与えられることによって意味を得る。
 なんだか世界の見方ががらりと変わった気がした。
 初恋と失恋。恋愛とかは言葉でしか知らなかったけど体験して初めて実感した。
 僕はきっとこれを忘れない。いや、忘れることは出来ない。僕は双子の姉に恋をした。
 このあと恋愛することがあるかどうかわからないけど、姉のことを思えば僕は身を引く。
 ただし、少しだけ悪戯をしたい。姉の無知―――というか恋愛の伊呂波が小学生以下なのはいいことだ。
「相手の気を引かせるにはどうすればいい」
「毎朝起こしに行けばいいよ、お弁当とか作ると喜ぶね」
「男はどのような服装に萌える?」
「女の子らしい格好だね。男が決してきることのないような―――スクール水着とかいいんじゃない?」
「ジョージが屋上でツインテールが好きだといった。ツインテールって何だ」
「ああ、それは怪獣だよ。着ぐるみの貸し出しなら円谷○ロに問い合わせればいいと思う」
「むう、ありがとう。お前のおかげで成功しそうだ」
 相手の男には悪いけど、最低限これくらいの奇想天外荒唐無稽なことに対応できないと姉とまともに恋愛できないだろう。
 まあ、僕の小さな悪戯心を実行する姉を見るだけでついつい笑ってしまうんだけど、すこしだけの本当も混ぜている。
 姉が惚れたのならば、きっとそれだけの器量があるということだろう。
 僕はすこしだけそこに期待して姉にいろいろなことを吹聴した。
 まあ僕の悪戯ももう少しで終わるだろう。そろそろ僕もジョージさんにお礼を言いに行くからそこで姉さんとの関係も分かるだろうし。
 だから僕はとびっきりのイジワルをいつか長岡ジョージに仕返ししてやろうと思う。
 シスコンといわれても構わない。だって僕はシスコンだから。
 認めてしまうとどこか気楽だ。僕も姉以外の人が好きになればシスコンから抜け出すだろうけど当分はイジワルなままでいよう。

(0)

 私が目を覚ましたとき、世界が違っていた。
 この世界は私のいた世界とは違う。
 この世界の私は生まれてからずっと眠っていたようだ。なんとファンタジックなことだろう。現実としては体中痛くてまともに動けなかった。
 私が一番驚いたのは私と同じ顔をした人間がいたことだ。最初は鏡かと思ったほどだ。
 彼には感謝している。私は彼がいなければこの世界の精神病院―――とは名ばかりの監獄のような場所に入れられていたことだろう。
 原因も理由も何もかも不明で私はここに安穏と平和に暮らしている。
 感情というものがこの世界では重視されている。私の世界のロジックとは異なる。
 私は江口ミツコという殻を借りて生活している。
 怖いのはいつ、元の世界に戻るのか、ということ。
 不安なのはいつまでこの世界にいられるのかということ。
 私は緊張が解けた所為で幼い頃のように感情の制御が上手くできなくなった。
 私を揺り動かす存在が怖くて、仕方がなかった。
 最初は世界の情報を得るために利用していたカオルだが彼から感情を学び取った。
 私は始めて人間として生きることが出来るようになった。
 だから、私は一日一日を必死に生きようと思う。
 まだ上手く人間の事を掴むことはできないが必死に生きようと思う。
 私に足りないものを教えてくれる誰かを探そう。

(−1)

 引き金を絞る。
 ぐるり、かちゃり。
 死ぬときと生きるとき。
 回転式は緊急時以外動かない。
 この瞬間、幾つもの回転が起こる。
 二年前、見えない危機があったから。
 ぐるり、かちゃり、ぐるり、かちゃり。
 リボルバーは精神の力で機械的に廻る。
 六発の弾丸は互いの存在を知ることもなく。
 二年前の夏に物語りは戻る。

―――次回閑話に続く



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