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Welcome,this new world.



 O.

 ボールが舞い上がる。
 次々と耳に響いてくる掛け声。
 それに連なるように揃える声援。
 大袈裟な応援ではなく、仲間を影から支える、仲間を信頼した応援。
 それはコートにいる選手だけでなく、ベンチに控える選手も同じ。
 どれだけの支えになるだろう。これだけの応援が自分たちを鼓舞してくれる。
 それだけで、強くなれる。強くなった気分になれる。
 相手を見据え、手を伸ばす。相手が来れば、足を向ける。
 目で見て、耳で捉え、手足を用いて相手を防ぎ、攻める。
 単純なゲームの中に、知略と体力が要求されるスポーツ。
 それが、わたしの愛したバスケットボールだった。
 そう、愛していたのに。


 1.

「はい、そこで攻める! 井川、ボケっとしてないでスクリーンをかけに行く!」
「ハイッ」
「ディフェンス。マンツーなら声かけしなさい!」
「番号6!」
「5!」
「8!」
 体育館中に響き渡る少々甲高い声。でも耳に痛くなく、そこに必死さがあるからか、無意識にそちらを見てしまう。走りこむオフェンス。点数を取らせないようにプレスをかけに行くディフェンス。シュート。リバウンド―――一連の流れが洗練されている。やはり、名門学校になると気合の入れ方も違う。
 保科高校女子バスケットボール部。
 地方でありながらも、その成績は指折りつき。顧問の教え方もいいが、それ以上に部員のやる気と能力の高さに驚かされる。彼女らにあこがれて入学してくるというスポーツ少女も少なくない。そのせいか、保科高校の学生数は女子のほうが多めである。
 女バスの部員数がほかの部に比べて圧倒的に多いのは言うまでもない。
「……うらやましい」
「異なる性別の部活に対して、何を嫉妬してるんだ」
 俺がぼやいた言葉に、隣にいた男がコツンと頭をたたいてくる。
 盛り上がる女バスとは反対の面にあるのが、我らが保科高校男子バスケットボール部だ。
 部員数15名。まだ多いほうだが、やっぱり盛り上がっている部活と比べてしまうのは、男女関係ない。
「それより、早くやるぞ。先輩が抜けた後は俺らが引っ張っていかなきゃいけないんだからな」
 妙に燃え上がっているのが、俺の友人であり、此度男バスの部長になった磯貝公人。「さわやか青年」という言葉が似合いそうな男である。男女ともに信頼があり、バスケの腕前も地方ではトップクラスに部類されるだろう。それを買われて、部長になったわけだが。
 そして、俺は、どこをどうやったのか副部長になった。いや、理由ははっきりしている。代々、我が男バスは部長を先輩たちが、副部長を部長が決めるという制度になっている。つまり、目の前にいる磯貝が部長就任の際に俺を指名したことになる。
 うーん。今、考えてもなんで俺になったのか甚だ不思議だ。別段、人望があるわけでもなく、バスケの腕前がトップクラスに位置しているわけでもない。拒否する理由もなく、受けた俺も俺だが。
「へいへい。それで、新生男バスの練習はどうしますか。部長殿」
「新生、っていうほどメンバー変わってないだろ。抜けただけだ。抜けた後の補強を行う――と言っても、その辺りは顧問の先生の担当だ」
「その顧問が来てないから、問題だな」
 既に女バスのほうには顧問の先生が声を荒げているのに対して、男バスはそれがいない。覇気の入れ様も異なっている。問題以前の問題、か。
「ともあれ、基本練習はしておこう。先生もお忙しいだろうし、出来るだけ負担は減らしたい」
「そうやって、ポジティブに考えられるお前が羨ましいよ。磯貝」
 あの人も、もうちょい意識をこっちに向けてくれればいいんだけどなあ。
 悔やみっぱなしだ。
「ん。須磨寺が出てきたな」
 磯貝が珍しく視線を女バスのコートに向ける。
 練習を既に始めており、応用であるチーム戦まで行っている女バスの練習着は体操着にスパッツという出で立ちだ。少々首をかしげる点もあるが、顧問の先生が「動きやすいから」という理由で着用しているらしい。これはこの前、女バスの友人から聞いた話であるが。余談だが女バスの顧問は女性である。
 全員同じ服装なため、見分けがつけづらいが、顧問に呼ばれコートに入った須磨寺は入った瞬間からほかとは違う空気を放っていた。それはコート内でも同様で、彼女が一歩踏みしめるたびに選手の顔が引き締まってくる。
 須磨寺茜。
 保科高校女子バスケットボール部が誇るポイントゲッターであり、ブレインでもある。もちろん部長。彼女が持つ能力はトップクラスどころではない。トップだ。容姿端麗。品行方正。文武両道。並べる言葉は数知れず。雑誌でも一記事作られたほどに有名だ。
 それほどまでの能力を持ち合わせていれば顰蹙や嫉妬などがあって構わないのに、部員にその色はない。あるのは信頼と尊敬。いい具合に競争心があるからこそ、女バスはここまで勝ちあがれた。それもすべて、須磨寺茜の人柄によるものが多い。
「なんだ。磯貝も須磨寺茜ファンか」
「ファンって。そういう意味じゃない。……いや、あながち間違ってないのか?」
「どっちだよ」
「ファンというわけではないが、彼女の能力には惹かれるということだ。あれだけの人材が男バスにもいれば」
「それは女バスにも言えることだろ。須磨寺がいなかったら、女バスもあんなに活動的にならなかった」
「難しいな。一方を立てればもう一方が立たない。得難き相手は人魚だったと」
「勝手に須磨寺をジュゴンにしないほうがいいと思うが」
「そういう意味じゃない」
 冗談はさておき。
 須磨寺が入ったチームは一気にスピードがあがった。走りこむという意味でのスピードもそうだが、攻守に反応するスピードも違っていた。素早く相手に切り込み攻める。相手の行動を瞬時に理解し守備に徹す。リバウンドに対する反応も違う。それもこれも須磨寺茜の一声で成り立っているというのだから、彼女の能力の高さがうかがい知れる。
 こうして考えると、俺も須磨寺茜という人物を好意的に捉えているのだろう。なんであんな奴が男じゃないんだろうね。ホント。
 ホイッスルが鳴る。もちろん、女バスのコート。顧問の先生が休憩の旨を告げると今まで体育館中に広がっていた緊迫感が緩んだ。座り込む女子もいれば、即座に水分補給に走る女子もいる。健全な男子なら、そんな気の緩んだ、スパッツを履いた少女の姿に欲情をするんだろうが俺はといえば終始履いている身内がいるので特別そんな感情は抱かない。いや、抱けないのか。
「こぉら。男バス。練習はいいの?」
 体育館を半面に区切るネットの向こう側から声が聞こえた。
「あ、常盤先生」
 磯貝が声をかけると、柔和な笑みを浮かべる女性――女バス顧問の常盤小梅先生がそこにいた。
 女バス部員同様に体操服にスパッツかと思いきや、さすがに羞恥心があるのかジャージ姿の26歳独身。彼女の優しさと中に潜む魅惑の容姿に惹かれてか、学生には人気がある。俺も大好きです。なんで顧問だけスパッツ履いてないんだろ。もったいない。
「天宮先生は?」
「まだです。多分、まだ仕事が片付いていないと思うのですが」
「どうなのかしら。あの先生、特に用事は入ってなかったと思うんだけど」
「やっぱりサボってんのかね。その点、ウメちゃんはエラいなあ」
「ウメちゃん言うなっ! ―――コホン。それで、磯貝くんたちは一体何をしているの? 部長と副部長コンビがこんなところでぼーっとしてたら、ほかの部員に示しがつかないでしょ」
「それはコイツが……」
 即座に口を手でふさぐ。
「磯貝が須磨寺茜に夢中だからです」
「へー。磯貝くん、須磨寺さんに興味があるの?」
 楽しそうに磯貝に目を向けるウメちゃん。独身ゆえなのか、それとも女性の性か。恋愛関係の話題には興味が尽きない様子。
 なんとか俺の手から逃げ出した磯貝は、俺を睨みつつも、状況を把握すると思いっきり首を振る。
「い、いえ、違いますよ! 興味は確かにありますが、それは単にバスケットの能力に関することで」
「そうやって言い訳するところが怪しいところなんだけどなー。まあ、いっか。うん。確かに須磨寺さんは凄いよね」
 そう言うと、ウメちゃんが振り返ったので俺たちもそちらを向く。
 そこには部員に囲まれながら休息をとっている須磨寺の姿があった。何を話しているのかは遠くてわからないが、そこに笑みが広がっていることから、バスケ以外の話題だろう。本当に女子は話題が絶えなくていいな。男バスだと、どうしても趣味の異なる人間が多いからあまり盛り上がらないし。
「ああやって、人を寄せ付ける能力、人望が厚いのが彼女の凄いところよね。もちろんバスケの腕もそうだけど。私から教えるところはないんじゃないか、ってちょっと焦っちゃう。顧問辞めて隠居しちゃおっかと思っちゃったよ」
「そうなったら、うちの顧問になってよ。ウメちゃん」
「こら。滅多なこといわないの。あと、ウメちゃん禁止」
 いい案だと思ったんだが。そうしたら部員の士気が上がるのに。もちろん俺の士気も。
「でも、本当にあの子がいれば女バスは大丈夫だね。全国大会まではわからないけど、県内までは行けるレベルにはなってるし。問題はあの子が抜けた後なのよね」
「贅沢な悩みですね」
「ええ、そう。贅沢すぎるのよ。一度味わった快感は、さらにそれを求めようとする。その快感への道を閉ざされると堕落しちゃう。県内がわかっている人が、それを当然と思ってしまうのが怖くてね」
「慣れ、ですね」
「そう、慣れね。須磨寺茜がいることに慣れてしまってはいけない。だから私も須磨寺さんと相談して、彼女抜きの練習メニューも組んではいるんだけど。これもね、ちょっと差別じゃないかって不安なの。須磨寺さん重視、っていうか。まだ1年もあるのに須磨寺さん無しのメニューを考えるのもおかしなことなんだけどね。あー、自己嫌悪!」
 ネットの向こう側で頭を抱えるウメちゃん。
 どうだろ。自己嫌悪をしているけれど―――と思わず口を開いてしまう。
「それだけ悩んでいるなら、部員もわかってるでしょ。須磨寺を暗に抜かしていれば嫌でも気づく。あれだけ上昇意識の強いメンバーなんだから、連帯感の強いチームなんだから、ウメちゃんは心配せずにやっちゃいなよ」
「―――あ、うん。ありがと。びっくりした。意外とまともなこと言うのね」
「ひどっ!」
「常盤先生。コイツは時として核心を突くタイプなんですよ。発生率が極端に低いですけどね」
「褒められてるのか、わかんねえよ。それ」
 そもそも俺、そういう目で見られてたのか。
 でも発生率が低いくせに核心を突くタイプって、言い換えれば妙なところに目がつくってことだな。やっぱり褒められた気がしない。
 俺たちのやり取りに思わず笑みが浮かぶウメちゃん。
「本当、楽しいわね。貴方たちのやりとり。今年の男バスは面白くなりそうね」
「コイツがちゃんとやってくれればですけれど」
「その前に顧問がちゃんと来ないとな」
 それにまた喉を鳴らして笑うと「休憩終了!」と声を上げる。
「さて、これから練習だから。男バスもちゃんとやりなさいよ?」
「ウメちゃんが『頑張って!』って言ってくれたら頑張る」
「はいはい、そこ休憩終わりよ!」
「……スルーを覚えちゃった」
 悲しいなぁ。構いすぎたんだろうか。
「お前が変なこと言い過ぎるからだろ。せっかく、好感もたれそうだったのに」
「んー。失敗か。いいと思うんだけどな。ウメちゃんって愛称」
「悩むところはそこか。さて、そろそろ真面目に練習するぞ。新生男バスが一歩目でこけたら先輩方に申し訳ない」
 了解、と返し磯貝の後ろを着いていく―――ところで妙な違和感を覚えた。
 そこにいるはずがないのにいる、というべきか。
 その違和感の元はすぐにわかった。
 体育館の上部に位置する通路で立ち尽くしている少女。
 体育館、しかも部活中にも関わらずその服装は制服のままだ。その表情は遠目だが、若干厳しそうに見えた。表情。あの表情は見たことがある。いや、正確に言うなら顔。あの顔には見覚えがある。どこで見たか。その少女の目線はこちらではなく、逆方向のコートである女バスに向けられている。
 ああ。そうだ、見覚えがあるなんていうほどじゃない。
 既に何度か見ている。
 それこそ須磨寺茜より先に見ていたじゃないか。
 誰かが言った。
「須磨寺茜には妹がいる」
 うん。それは間違いじゃない。
 でも俺は出会った順番が違う。妹のほうが先だった。
 そう。そこにいたのは―――

「須磨寺夜?」

 ――須磨寺茜と瓜二つの、双子の妹だった。


 2.

「夜先輩?」
「兄ちゃん、夜先輩に興味があるの?」
 晩御飯時にその話題を振ってみたところ、我が妹たちの第一声はこれだった。
 何を隠そう、実はうちにも双子の姉妹がいる。これまた須磨寺姉妹同様に一卵性双生児なわけだが。確率の低い一卵性が同じ学校に揃うなど考えられないだろうが、これは現実だ。実際に数組の双子が同時に同じ学校を卒業したという記録があるくらいだし、現実は現実として受け止めよう。ちなみに終始スパッツ履いている身内というのがこいつらだ。毎日、そのうら若き柔肌を晒すような肌着を毎日着用している。蒸れないんだろうか。名前は小春と日和。見分けがつかないくらい似ているが、どちらがどちらだろうが関係ない。この二人を扱うならば、二人は同一として考えるのが得策だからだ。
「ホントに恋愛事に興味があるな、お前ら」
「あるよー」
「あるさー」
「いや、違うから。俺は別に須磨寺に興味はないから。俺が訊きたいのは、あの姉妹になにかあるのかってことだ」
 あのときの須磨寺夜の様子はおかしかった。女バスの練習風景を見ていたには変わりないが、その視線の先には須磨寺茜の姿があったような気がするのだ。俺も練習とかほかに用事があったから考えないようにはしていたんだが。
「茜先輩と夜先輩?」
「茜先輩はスポーツ万能で成績優秀、文武両道を地で行く人。夜先輩も成績優秀だけどあまりお話聞かないね。茜先輩は女子バスケで、夜先輩は美術部だっけ」
「それにあの二人、あまり会ったこと見たことないもんね」
「話しているところも見たことないもんね」
「どういう関係なんだろ?」
「どういう関係なんだろ?」
「……そりゃ、姉妹に決まってるだろうよ。仲がいいのか悪いのかわからんが」
「でもお兄さんは」
「夜先輩に興味がある、と」
「人の話を聞け! あー、ったく。お前らと話してると調子狂う」
「やったー!」
「やったー!」
「喜ぶところか!」
 まったく……。
 それにしても保科高校の情報通として知られているこの二人なら、何か知っているかと思っていたがそうでもなかったか。それとも俺の見間違えなのか。
 でも二人の言った「どういう関係なんだろ」には確かに興味がある。
 兄弟姉妹の仲がいい、なんてのは絶対ではない。時には殺したいくらい嫌っている相手もいるだろうし、こいつにだけは負けたくないっていう相手もいるだろう。それが須磨寺姉妹に当てはまるというのだろうか。
 まあ、関係性は放っておいても小春と日和が調べてくれるだろう。こいつらは興味を抱いたら調べてしまう性格だからな。だからこそ、情報通なんていうプライバシー無視な異名がつくわけだが。
「それにしても美術部ねえ。文化系の部活には興味ないんだが、そもそも美術部って何をする部活なんだ? イメージとしては油絵とか描いてそうだが」
「それであってると思うけど、彫刻もやってる学校もあるみたい」
「木版画や石像作ったり」
「ダイナミックだな」
「でも、うちはそういうのないね」
「うん、うちはそういうのないね」
「女バスが強いからね」
「運動系が強いからね」
「なるほど。女バスの部員の多さの影には、部員の少なさに泣く部活もあるってことか。部員が少なけりゃ、その分だけ部費も少なくなる。石像の元になる石も買えなくなるってことだな。ところで部員は何人なんだ?」
「何人だっけ?」
「1人だっけ?」
「廃部寸前じゃないか」
 部として成り立ってんのか、それは。
 来年当たりに廃部してそうだな。
「でも幽霊部員を含めると、規定人数には入るみたい」
「だから兄ちゃんが美術部入れば、2人っきりの部活が楽しめるよ?」
「傍から見ると虚しくなる風景だな」
 密会してるみたいで。
 いや、繰り返すようだが俺は須磨寺夜に劣情を抱いているわけではない。なぜ、わざわざ女バスの練習を見に来ていたのか。須磨寺茜に用事があるなら、なぜそこに行かないのか。そして、なぜそんな鋭い目つきで女バスを見ていたのか。どうも頭にあのときの情景がこびりついてしまって離れない。違和感なんて感じ取らなければよかった。無視していれば、こんなことに悩まなかっただろうに。
 でも、違和感のなかに確かに感じ取れるものがあった。
 もしかしたら、そのせいなのかもしれない。
 彼女の瞳にこめられた感情。
 揺るがせようにも揺るがない想い。
 諦めようにも諦められない気持ち。
 須磨寺茜に向けられていた視線のなかに、確かにあったもの。
 まだ不確定ではあるが、もしそれが真実ならば、少しだけ彼女と触れ合ってみたいと思った。


 3.

 翌日。
 普段なら小春と日和に叩き起こされる朝を、珍しくも自分で起き、朝練もサボって教室へ向かった。もともと朝練はサボっていたので、磯貝も毎度のことだと思って溜息を吐いてることだろう。あとで小言ぐらい言われそうだが何とか切り抜けよう。それにしても血は争えない。妹たちが興味を持ったら動くのと同じで、俺も興味を持つとどうしても突き止めてしまいたくなるのだ。
 無事着。プレートを確認すると、2−C。確かにうちのクラスである。
 早朝ということもあり、校舎内は耳が痛くなるくらいに静かで寒い。ガラスの向こうから聞こえる運動部の練習の声がBGMとして鳴り響くが、雑音として捉えることしか出来ない。
 手をゆっくり扉にかけ、開ける。立てつけが悪いせいか、ガタゴトと音を立てて開いていく。軽く見回してみて―――いた。同じクラスながら、あまりに影が薄いため興味がわかなかった彼女が、窓側の一番後ろで文庫本を読んで佇んでいた。
 須磨寺夜。
 顔はまったく須磨寺茜と同じ。違うのは髪の長さとまとう雰囲気。茜はスポーツ少女らしく髪をショートカットにして若干茶色に染めているが、夜のほうは黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばして凛と澄ましている。名は体を表す、というがここまで雰囲気も似ているというのは怖いな。明瞭活発と空空寂寂。後者は今ではその言葉を否定しなければならない状態にあるが。
 さて。よくよく考えると、俺は須磨寺夜とまともに会話したことがない。彼女の趣味・嗜好はもちろんのこと、彼女がどういう語り口調で話すのかもわからない。思えば、須磨寺夜がまともに会話している姿を見ていない。俺がまともに彼女を見ていなかったのか、それとも本当に誰とも付き合っていなかったのかは定かではない。俺は彼女を知っているようで知らない。これが今出せる須磨寺夜に対する感情だ。
 とにかく挨拶はしなければならないだろう。挨拶は重要だ。コミュニケーション上、これが成り立たなければ前進しない。俺はゆっくりと自分の席へと歩く。俺の席は一番後ろだが、彼女との間には二枚大きな壁があった。大きな壁とはまったく字のとおりであり、大きな壁のような背丈の人間が間に二人いるのだ。ちなみに両者ともバレーボール部である。平均身長よりやや上の俺では、授業中に彼女の姿を視界に入れることは出来なかった。だが、今はバレーボール部も朝練で、壁も撤去されている。座るだけでも彼女の姿を見ることは出来るだろう。
 だが、まだ座らない。鞄を机の上に置くと、読書の秋を満喫している須磨寺夜に顔を向ける。
「おはよう」
 まずは一言。
 しかし、
「…………」
 無言だった。
 コミュニケーション失敗。
 いや、まだ失敗と決め付けるには早すぎる。しかし二度も挨拶するのはどうも気がひける。挨拶を強要する変なヤツ、と悪印象を持たれかねない。だからといって、強く話題を振るのも考えものだ。出来うる限り、自然な行動で彼女と会話しなければ―――なんて熟考していると。
「……おはよう」
 聞き慣れた――いや、初めて聞くような声が耳を打つ。
 無色透明、無感動な声。それが逆に胸に響く。これが。これが須磨寺夜の声なのか。初めて聞く声に感動してしまったせいか、反応が遅れてしまった。
「あ、ああ。おはよう」
 挨拶を返すと、夜は意識を本に向けてしまったらしく返答はない。
 なんだろ。挨拶されたのに返さないのは失礼だ、とでも思ったのだろうか。それなら勇気を振り絞って声をかけた俺には有難いのだが。ともあれ一歩前進した。『挨拶をする程度』ぐらいに関係性がアップだ。ここから出来れば『世間話をする程度』ぐらいまでいっておきたい。そこまで行ければ、あの違和感の理由も予測はつくだろうし、互いに不利益なことが発生することはない。
 どうしたものか、と無い頭をフル回転しながら鞄を漁っているとその思考が一気に停止した。
 ……宿題を忘れた。
 ノートや教科書はある。だが、宿題をやってない。しかも1時間目。早起きして学校に来たおかげもあり時間は裕にあるが、問題量が多いため最後まで出来るかは確証がない。担当はウメちゃん。愛しのウメちゃんの困った顔を見たい気もするが、さすがに泣かせたくない。いや、その前に怒るか。これ以上ウメちゃんの俺に対する好感度を下げたくないので、早めにやり遂げたいが、どうだろう、出来るだろうか。
 無理と判断。
 せめて起きたときに思い出していれば遅刻してでも仕上げてきたのに。
 うーん。うーん。
 そうだ。
「なあ、須磨寺」
「……呼んだ?」
「これで独り言だったら変なヤツだよ。ああ、呼んだよ。須磨寺。1時間目の宿題ってやってるか?」
「1時間目――数IIね。ええ、やってるわよ」
「見せてくれ」
「…………」
 なんだろ、無表情なのに気迫だけで伝わってくる。
 何を言ってるんだ、この男は。
 わかってる。それはわかっているんだ。ほとんど初対面な人間に宿題を見せるなんていう所業、普通はしない。しかも俺の態度も尊大すぎる。自己嫌悪。
「あ、いや。見せてください?」
「どうしてわたしに借りるの? 倉樺くんなら貸してくれるんじゃない?」
 クラス委員で成績優秀な男子の名前を挙げる須磨寺。貸し借りの要領の良さを知っていることと俺が倉樺と仲がいいことを知っているということは、それなりに人物観察は出来ているようだ。人に興味が無い、なんていう線はなさそうだ。
「倉樺が来るのはもうちょい先だろ。それまでずっと待つ、っていうのもな。もしかしたらアイツが病欠する可能性もあるし。それなら今、近場にいて、出来ている人間がいるなら見せてもらうくらいいいだろ?」
「……勉強する気あるの?」
「あるけど、忘れてた」
 全部、お前のせいだけど。
 俺があまりにあっけらかんとしていたからか、須磨寺は嘆息を着くと机の中から青いノートを取り出した。
「はい、これ。写しても構わないから早くしてね」
 早く、ね。
「サンキュ」
 ありがたく借りて、さっそく範囲を探す。須磨寺の字は見やすく写す側にもすぐわかる内容になっていた。もちろん写されること前提でノートを書いているわけではないのだろうけれど。この年齢になると、暇で思わず書いてしまう色ペンでの落書きも一切見当たらない。無駄なものが一切無い。
 範囲はすぐに見つかった。途中の式もきっちり書いてあるため、あとで教科書を見ても理解できそうだ。
 俺が懸命に写している間、須磨寺はこちらに興味が無くなったように再び文庫本に目を落とした。
 教室にまた静寂が戻る。何事も無かったかのように振舞っているのは少々寂しいが、今はそうも言ってられない。筆ならぬペンを動かす。次々と並べられる数式。意味などわからず突っ走る。
「ねえ」
 思いがけない声に体が震えてしまい、思わずペンが斜めに走る。
「あ、ごめんなさい」
「いや。構わないけど……なんだ?」
「ん。どうでもいいことなんだけれど。―――キミって、バスケ部よね?」
 キミ、か。
 やっぱりどこか突き放している印象があるな。そういえば声にもそんな印象がある。須磨寺茜とは違う、他を寄せ付けない声。出来れば構わないで、と言葉から伝わる心の悲鳴。無色透明。硝子のように割れかけた声色。
 本人の前で名前を呼ばない。
 今まで一度も須磨寺夜は俺の名前を呼んでいない。苗字ですら、だ。名前で呼ぶならまだしも苗字ですら呼ばないのは少し問題がある。過去に彼女に変なことをしたとか、まだ名前を覚えてもらっていないなら仕方ないことだが、どうだろう、それはないと信じたいが。
 それにしてもバスケ部か。いつの間にか『世間話をする程度』までランクが上がっているらしい。思わぬ進歩だ。しかもバスケ部。ここでその言葉が本人から聞けるとは思わなかった。
「そうだが。それがどうした?」
「深い意味はないけど、姉さん――須磨寺茜ね――のことをどう見てる?」
「質問が曖昧すぎるぞ」
 まさかとは思うが「姉さんが貴方のことを好きだって」なんていう妙なハプニングが起きるわけじゃなかろうな。そんなことになったら、俺は今後磯貝にどういう顔して会えばいいんだ。
 もちろん、そんな夢のようなことはないわけだが。
「そうね。これでは勘違いされてしまうわ。姉さんのバスケの腕前を、男子バスケ部の副部長であるキミから判断してもらいたいの」
「腕前? って、俺が副部長ってよく知ってるな。この前決まったばかりなのに」
「職員室に鍵を取りに行ったときにたまたま常盤先生と会ってね。面白がっていたわ。今年の男バスは面白くなりそう、って」
「ウメちゃん、口軽いなあ。隠し事じゃないからいいけどさ。で、須磨寺茜のバスケの腕前だっけ?」
 妹、夜は頷く。
 とはいってもなあ。突然言われると困る。
「アイツは何でもこなせるプレイヤーみたいだな。ポジションも特に決められていない。公式試合を一度見たことあるんだが、上級生に負けず劣らずの判断力を持ち合わせていてな、たまに先輩の指示を無視してつっこんだことがあったな。結果的にうまくいったからよかったものの、あのときはびっくりしたな。同級生にこんな凄いプレイヤーが、しかも女子でいるなんてな」
 慎重に言葉を選びつつ、喋る。
 磯貝に任せればもっといい評価が出てくるんだろうけれど、俺が須磨寺茜に抱いている感想といえばその類稀なる判断力だ。視界を広く持ち、そこから弾き出される判断を即座に行動に移す。ドリブルやシュートより、俺はそちらを評価する。
 その後も簡単ではあるが、説明も踏まえて須磨寺茜に関するバスケの腕前を話す。果たしてうまく話せているかは不安だが、夜は真剣な目つきでこちらの話を聞いている。たまに首肯したりして、「それは他の人に比べて凄いの?」などと質問してくる。質問が的確すぎて、こちらもどんどん話し込んでしまう。長所も欠点も、俺が思う限りを言ってみた。喋りすぎたか、と思ったところで夜が黙り込む。
「―――こんなもんだな」
「……ええ、ありがと」
 何を考え込んでいるのか。話が終えたにもかかわらず、そこから話をつなげるつもりもなければ、文庫本に目を落とすわけでもない。俺もこれからどうしていいかわからず、とりあえずは宿題の写しに取り掛かる。
「ねえ、最後に訊かせて」
 筆を休めることなく、首肯する。
 果たしてそのときの彼女がどういう顔をしていたのかはわからないが、声は、声だけはその感情を伝えていた。
 苦痛。
 悲痛。
 そして、諦め。

「もし、須磨寺茜が2人もいたら女バスはどうなっていたと思う?」

 それは、そういう意味か?
 お前が言いたいのは、そういう意味なのか。
 須磨寺茜は2人いると。
 須磨寺茜という種族が2人いるのだと。
 須磨寺茜という能力をもった人間が2人いるのだと。
 そういう意味か?

「今より強くなっていたかしら」

 須磨寺茜。
 彼女のポテンシャルは非常に高い。バスケだけではなく、判断力を必要とされる競技ならば誰もが欲しがる人材だろう。彼女が1人いるだけで女バスの強さは格段にあがっている。ならば、2人ならば。

「逆だな」
「…………」
「須磨寺茜は判断力もさることながら、何でも出来るユーティリティ・ポジションとして活躍している。確かにそれを考えるなら、そういう人間がもし同じ部活内に2人いれば格段に戦力は増強されるだろう。でも、それはあくまで対外でのことだ。対内――つまり部内での人間関係は悪くなるだろうな。だってそうだろ。どちらもカリスマ性を持ち合わせているんだ。自然と派閥が出来てしまう。茜A組と茜B組って具合にな。同属嫌悪ってヤツか。そうなると部内でのバランスは崩壊、信頼関係も無くなり、戦力は半減もいいところだ。顧問をしてるウメちゃんも精神的に負担になるし、そうなることがわかっているなら須磨寺茜はひとりで十分だ」
 よし、写し終了。
 最後に書き損じがないか確認して、青色のノートを須磨寺に返しに行く。
 差し出されたノートを呆然と眺めていた彼女だが、ゆっくりとその手をノートに添えていく。
 計ったかのように教室の扉が開かれ、数人の女子生徒が入ってくる。どうやら先に俺がいることに驚いているらしく、目を見開いている。失礼な。
 ふと、背後でくすっと笑い声が聞こえた。
 感情が無いと思っていた少女が、ようやくその表情を大きく変えていた。その声は決して大きくはなかったが、微かに、その声に悲痛な様子は感じ取れなかった。
「そうね。2人もいたら、大変なことになりそう」
 そしてまた、文庫本に視線を切り替える。

「ありがとう。香登くん」

 そう言って、初めて彼女は俺の名前を呼んだ。 


 4.

「そんで、結局どないしたいんや」
「さてな。そもそもアイツにやる気があるかどうかもわからん」
「ほほぉ。さすがのカガトでも、わからんもんもあるねんなあ」
「最初から俺にはそういうのねえよ。読めないっつーか」
「にしても、須磨寺茜なあ。有名やで。こっちでも。なんや狙った獲物は逃さない、豹みたいなやつなんやろ? それと同等な力を備えているヤツがおるっちゅうことは脅威や。バスケやのうて、陸上でも出来たはずやのに、なんでその――夜やったっけ?――女はバスケにこだわるんや」
「バスケが好き、じゃあダメなのか?」
「ダメなことあらへん。ただな。それほどバスケにこだわっとるんやったら、なんでバスケ部に入ろうとせんかったかや」
「だから、それは説明しただろ。同属嫌悪の話」
「そりゃお前が話したからやろ? その前や。話聞くにはその夜っちゅう女は最初から美術部に入っとったらしいやんか。つまりや。既にその前に夜はバスケ部入部を諦めとったっちゅうことや。フン、諦めか。大抵そういう諦めはつまらへんことが原因なんやけどな……。聞き飽きたわ」
「えらく饒舌だな。気に障ることでもあったか」
「うんにゃ、そういうことはないんやけどな。どうも煮え切らん。言いたいことあるはずやのに全然はっきりせえへんヤツが一番イライラすんねん」
「せっかちだなあ」
「カガトがのんびりしすぎや!」
「ま、動き出す前に一応お前の話も聞いておいてよかったよ。これで決心がつきそうだ」
「考えすぎや。それこそ須磨寺茜みたいに考えると同時に動き出したらええのに。いつかハゲるで?」
「それはヤだな」
「俺もイヤや。まあええわ。勝手にしたらええ。それでも個人的には見てみたいするけどな、その須磨寺夜の腕前とやらにな」
「言葉だけかもしれん。そうなったら、ルリがどう出てくることやら」
「人のカノジョを引き合いに出すなや。想像しただけで怖いやんか。一足早く冬を感じたいんか?」
「勘弁勘弁。連れてきた俺も被害に遭いそうだ。―――うし、今日のところはこれで帰るわ」
「結局誰も来おへんかったな。ルリはバイトや言うてたけどな。来須が連絡なしっちゅうのは珍しいこっちゃ。メール着てへんよな?」
「着てないな。あそこも忙しそうだし仕方ないだろ。ゴリさんは連絡あったぞ。婆さん助けたら感謝されて、今その家で夕飯食ってるらしい」
「ああ、それはこっちにも着たわ。嘘か真か。まったく掴みきれへん人やわ。はぁ、結局2人だけかい。やっぱりまだ人数欲しいな。こういう非常事態のケースも考えなあかんし」
「今度ゴリさんに相談するか」
「そやな。ほな、俺も帰ろうかな。一人でやっててもつまらへんし。またメールか電話するわ。今度はルリが都合のええときにな」
「それまでにこっちも片付けておくよ。気になることは早く取っ払ってしまいたい。バスケにも影響でそうだしな」
「そうそう。暗ぁいカガトなんて、こっちが気持ち悪ぅて仕方ないわ」

「そんで、結局どないするんや?」


 S.

 生まれたときからわたしたちは比べられていた。
 顔や仕草まで似通っているのだ。どうにかして、違いを見つけようとするのは当然のこと。でも本質は違う。わたしは懸命に姉に追いつこうとしてのだ。離れないように、離されないように。姉は成長を止めようとはしない。終始頭を働かせて最善の行動をとり、最高の結果をもたらす。怖かった。姿形が似ている姉がわたしには出来ないことをやる。わたしが知らないわたしが勝手な行動をとって、勝手にわたしを凌駕する。暴走するわたしを止めるために、わたしも同様の動きをする。真似をする。姉が笑えばわたしも笑う。姉が怒ればわたしも怒る。姉が右に行けばわたしも右に行く。
 姉がバスケをしたいと思えば、わたしもバスケをやった。
 小学校の、今思えばお遊び程度の球遊びだったけれど、これは自然と楽しめた。姉が楽しいと思ってわたしも楽しんだのではなく、須磨寺夜というひとりの人間としてバスケは楽しめたのだ。コートにいる全員がゲームには欠かせないものであり、そのコートの中に様々なエンターテイメントがある。テレビでバスケ関連の話題をしないのを悔やんでいたりしたものだ。
 中学生になると、念願の女子バスケ部に入部した。
 女子バスケ部の練習は小学校の球遊び程度のものとは比べ物にならないものだった。わたしも懸命にその練習に入り込み、人並み以上の努力をして、それなりの実力はついていたように感じる。
 それでも、やはり、姉には敵わなかった。
 姉は努力もそこそこにメキメキと頭角を現し始めた。天賦の才、というのか。姉は教えられたことを綿が水を吸う勢いで習得し、その才能を認められ、先輩たちが引退すると自然とキャプテンになっていた。
 無論、その間にわたしが何もしていなかったわけではない。姿形が似ている姉に追い抜かれないように必死になって練習を積み重ねていた。諦めろ、と告げる身体を酷使してひたすらバスケのみに明け暮れた。どうにかして姉に追いつきたくて。どうにかして姉と違わないようにしたくて。

 姉とわたしを比べられないようにしたくて。

 怖かった。比べられるのが怖かった。
 子供のころ、テストで大きく差が開けられたときにお母さんが姉ばかり褒めていた。
「―――それに比べて」
「―――お姉ちゃんを見習いなさい」
「―――こんなに似ているのにどうして」
 怖い。比べられるのが怖い。どうして似ているの。どうしてわたしの顔をして、わたしを貶めるの。
 そんな目でわたしを見ないで。そんな口でわたしを笑わないで。わたしだ。お前はわたしなのに。どうしてわたしを、わたしを無視する! わたしを無視して、そんなに優遇されて、どうしてわたしから離れようとする! 見て! わたしを見て、お母さん! ここにいるよ。わたし、ここにいるよ!
 だから、わたしは比べられないようにしていた。
 出来うる限り、見限られないように。
 お母さんにも、他の人にも、嫌われないように。

 でも、それは逆効果だった。
 必死になっている姿は時に無様に写る。
 ああ、今までやってきたことはなんだったのだろう。

「夜さんって茜さんの真似ばっかりして気持ち悪いよね」